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以前、【ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)】
という記事を書きました。
ヨガはポーズだけではなく、10個の大切な教えがありますよ!という内容です。
ザクっと10段階の教えをまとめてあります。
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参考ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)
今回はその10段階の中の7段階目である「法下行法(バクティ)」について詳しくお伝えしていきます。
目次
1.法下行法(バクティ)とは
2.第七段階 法下行法(バクティ)についてもっと詳しく知る
3.まとめ
1.法下行法(バクティ)とは
この法下行法(バクティ)とは、パタンジャリのヨガスートラに出てくる八支則にはありません。
沖正弘先生が八支則からさらに必要な3つを足したうちの一つになります
(※八支則では最初のヤマニヤマを一つずつに分けているが、沖ヨガの10段階では1段階目がヤマニヤマのため足された部分が3つとなります。)
バクティとはヒンドゥー教で「最高神への絶対的帰依」を意味する言葉で「信愛」「分け合うこと」とも訳されます。
ヒンドゥー教における重要な概念です。
このバクティを沖ヨガの沖正弘先生は著書「ヨガの喜び」の中で
「心を無にする行法。ふつうの「信仰」とは意味が違う。心の信仰行法」
と書かれています。
リンク
第五段階の統一行法(ダラーナ)で緊張力を高め、前回の第六段階である禅定行法(ディアナ)と今回の第七段階である放下行法(バクティ)で弛緩力を高め、体も心も安定させて無にすることが、次の第八段階である三昧行法(サマーディ)に入るために大事になってきます。
第五段階の統一行法(ダラーナ)について、第六段階の禅定行法(ディアナ)についても併せてご覧ください。
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参考沖ヨガ10段階(八支則)~統一行法(ダラーナ)について~瞑想のはじまり、集中力を身に着ける
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参考沖ヨガ10段階(八支則)~禅定行法(ディアナ)について~体が最高にやすらぐ状態を体得する
2.第七段階 法下行法(バクティ)についてもっと詳しく知る
ここからは沖正弘先生の著書「ヨガの喜び」を参考に詳しく説明していきたいと思います。
法下行法(バクティ)とは無条件で捧げる「心の訓練」
人は皆、無意識に自己中心的、利己主義的になります。
そんな自分のこだわりやとらわれなどを捨てて、自分を他に「捧げる」ことをバクティと言います。
自分の損得、好き嫌いを考えず、すべてのことを感謝して、自分を捧げること、「おまかせ」の境地になるように訓練していくのです。
捧げる練習が「無」をつくる
沖ヨガ道場では、導師(グル)への服従によって自分を無条件で捧げる練習をしているとあります。
なぜこんな練習をするのか、それは次の第八段階の三昧行法(サマーディ)で相手と自分を一体にさせるためなのです。
空っぽのコップでないと水が入らないのと同じように、自分の心が空っぽにならないと相手の心が入ってこないのです。
しかし、いくら導師であったとしても導師の言葉すべてに従うのは難しいですよね。
心がきっと反発するでしょう。
なぜならば、人は皆、それぞれの歴史や経験がありそれによって培われた思いや考えがあるからです。
そして何よりも、人は皆「自分が一番」という思いを無意識的に持っているので、理屈抜きに相手に自分を捧げるとはとても難しいと感じるでしょう。
すごい訓練が必要になりそうですね。
「壁」に向き合うことも訓練になる
あなたも人生において「壁」と感じるものに当たったことがあるかもしれません。
特に本気になって取り組んでいることや、自分の人生をかけて行っていることなどは、時々「壁」が現れて挫折しそうになることもあるでしょう。
その「壁」について沖先生は
・壁にぶちあたったときこそ、次の飛躍への唯一のチャンスである。
・自分の限界を突破しようとするからこそ壁が出現する。”
・壁にぶつかったら、心を集中して何度でも挑戦する。
・そうやって挑戦していき、力を出し尽くして心を無にしたときに、壁の向こう側が見え始める
と書かれています。
何かにとことん向き合うこと、努力しつくすことで考えの渦から抜け出し無の境地に達するのでしょう。
3.まとめ
この段階になってくると理解するのも難しくなってきます。
ここまでの境地に達するまでに生涯終わってしまうのではないかとも思ってしまいます💦
私は、第五段階から今回の第七段階までは「人事を尽くして天命を待つ」ということなのだろうとぼんやりと感じています。
人間ができることはすべてやった上で、あとは天の定めた運命にまかせること。
自分の生(人生・打ち込めること・やるべきこと)を全うし、あとは神に身を任せること。
最終的にどんな風になろうとも、天命(運命)を信じてそこに身を捧げることが大事なのではないかと思います。
とことんやりつくし、出来ることをすべてやった人は、欲というものはなくなるのかもしれません。
「これだけやったのだ。どんな結果であろうと仕方がない(悔いがない)」
こんな状態になれた時に、自らの欲からも離れ、心が無の状態になるのかもしれません。
人生の中で後悔がない生き方というのは難しいかもしれません。
しかし、自分のコレだと思うものに自分のすべてを捧げて、そこに全集中すること。
そんな生き方をした先に見える世界があるのでしょう。
私もコレ!というものを見つけて、自分のすべてを捧げていきたいです。
まずはコレ!探しから必要ですね(;’∀’)
Sumie🌙.*·̩͙✩.*
Smjuk のヨガ
沖ヨガ10段階 ~法下行法(バクティ)について~ 心を無にしてやすらぐ状態を体得する~
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以前、【ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)】
という記事を書きました。
ヨガはポーズだけではなく、10個の大切な教えがありますよ!という内容です。
ザクっと10段階の教えをまとめてあります。
参考ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)
今回はその10段階の中の7段階目である「法下行法(バクティ)」について詳しくお伝えしていきます。
目次
1.法下行法(バクティ)とは
2.第七段階 法下行法(バクティ)についてもっと詳しく知る
3.まとめ
1.法下行法(バクティ)とは
この法下行法(バクティ)とは、パタンジャリのヨガスートラに出てくる八支則にはありません。
沖正弘先生が八支則からさらに必要な3つを足したうちの一つになります
(※八支則では最初のヤマニヤマを一つずつに分けているが、沖ヨガの10段階では1段階目がヤマニヤマのため足された部分が3つとなります。)
バクティとはヒンドゥー教で「最高神への絶対的帰依」を意味する言葉で「信愛」「分け合うこと」とも訳されます。
ヒンドゥー教における重要な概念です。
このバクティを沖ヨガの沖正弘先生は著書「ヨガの喜び」の中で
「心を無にする行法。ふつうの「信仰」とは意味が違う。心の信仰行法」
と書かれています。
第五段階の統一行法(ダラーナ)で緊張力を高め、前回の第六段階である禅定行法(ディアナ)と今回の第七段階である放下行法(バクティ)で弛緩力を高め、体も心も安定させて無にすることが、次の第八段階である三昧行法(サマーディ)に入るために大事になってきます。
第五段階の統一行法(ダラーナ)について、第六段階の禅定行法(ディアナ)についても併せてご覧ください。
参考沖ヨガ10段階(八支則)~統一行法(ダラーナ)について~瞑想のはじまり、集中力を身に着ける
参考沖ヨガ10段階(八支則)~禅定行法(ディアナ)について~体が最高にやすらぐ状態を体得する
2.第七段階 法下行法(バクティ)についてもっと詳しく知る
ここからは沖正弘先生の著書「ヨガの喜び」を参考に詳しく説明していきたいと思います。
法下行法(バクティ)とは無条件で捧げる「心の訓練」
人は皆、無意識に自己中心的、利己主義的になります。
そんな自分のこだわりやとらわれなどを捨てて、自分を他に「捧げる」ことをバクティと言います。
自分の損得、好き嫌いを考えず、すべてのことを感謝して、自分を捧げること、「おまかせ」の境地になるように訓練していくのです。
捧げる練習が「無」をつくる
沖ヨガ道場では、導師(グル)への服従によって自分を無条件で捧げる練習をしているとあります。
なぜこんな練習をするのか、それは次の第八段階の三昧行法(サマーディ)で相手と自分を一体にさせるためなのです。
空っぽのコップでないと水が入らないのと同じように、自分の心が空っぽにならないと相手の心が入ってこないのです。
しかし、いくら導師であったとしても導師の言葉すべてに従うのは難しいですよね。
心がきっと反発するでしょう。
なぜならば、人は皆、それぞれの歴史や経験がありそれによって培われた思いや考えがあるからです。
そして何よりも、人は皆「自分が一番」という思いを無意識的に持っているので、理屈抜きに相手に自分を捧げるとはとても難しいと感じるでしょう。
すごい訓練が必要になりそうですね。
「壁」に向き合うことも訓練になる
あなたも人生において「壁」と感じるものに当たったことがあるかもしれません。
特に本気になって取り組んでいることや、自分の人生をかけて行っていることなどは、時々「壁」が現れて挫折しそうになることもあるでしょう。
その「壁」について沖先生は
・壁にぶちあたったときこそ、次の飛躍への唯一のチャンスである。
・自分の限界を突破しようとするからこそ壁が出現する。”
・壁にぶつかったら、心を集中して何度でも挑戦する。
・そうやって挑戦していき、力を出し尽くして心を無にしたときに、壁の向こう側が見え始める
と書かれています。
何かにとことん向き合うこと、努力しつくすことで考えの渦から抜け出し無の境地に達するのでしょう。
3.まとめ
この段階になってくると理解するのも難しくなってきます。
ここまでの境地に達するまでに生涯終わってしまうのではないかとも思ってしまいます💦
私は、第五段階から今回の第七段階までは「人事を尽くして天命を待つ」ということなのだろうとぼんやりと感じています。
人間ができることはすべてやった上で、あとは天の定めた運命にまかせること。
自分の生(人生・打ち込めること・やるべきこと)を全うし、あとは神に身を任せること。
最終的にどんな風になろうとも、天命(運命)を信じてそこに身を捧げることが大事なのではないかと思います。
とことんやりつくし、出来ることをすべてやった人は、欲というものはなくなるのかもしれません。
「これだけやったのだ。どんな結果であろうと仕方がない(悔いがない)」
こんな状態になれた時に、自らの欲からも離れ、心が無の状態になるのかもしれません。
人生の中で後悔がない生き方というのは難しいかもしれません。
しかし、自分のコレだと思うものに自分のすべてを捧げて、そこに全集中すること。
そんな生き方をした先に見える世界があるのでしょう。
私もコレ!というものを見つけて、自分のすべてを捧げていきたいです。
まずはコレ!探しから必要ですね(;’∀’)
Sumie🌙.*·̩͙✩.*
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