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以前、【ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)】
という記事を書きました。
ヨガはポーズだけではなく、10個の大切な教えがありますよ!という内容です。
ザクっと10段階の教えをまとめてあります。
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参考ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)
今回はその10段階の中の8段階目である「三昧行法(サマーディ)」について詳しくお伝えしていきます。
目次
1.三昧行法(サマーディ)とは
2.第八段階 三昧行法(サマーディ)ついてもっと詳しく知る
3.まとめ
1.三昧行法(サマーディ)とは
沖ヨガの沖正弘先生は著書「ヨガの喜び」の中で、三昧行法(サマーディ)とは自他がひとつになり、他と最高に和合協力、生かし合うことだと述べています。
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また、パタンジャリのヨガスートラでは、三昧行法(サマーディ)とは、瞑想(ディアーナ)そのものが形を失ったかのようになり、その対象がひとり輝くときのことであると述べています。
ヨガの瞑想の一番深い状態をサマーディとも呼びます。
ヨガスートラではサマーディにもいくつかのレベルがあると言われています。
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2.第八段階 三昧行法(サマーディ)ついてもっと詳しく知る
三昧行法(サマーディ)…自分と相手が一体化する?ひとつになる?と疑問に感じた方も多いかもしれません。
ここからは、もう少しだけ三昧行法(サマーディ)について沖先生の著書を参考に掘り進めていきましょう。
三昧とは愛
自分が相手の心となり、相手が自分の心となる。
「人馬一体」という言葉がありますが、これは乗馬において乗り手(騎手)と馬が一つになったかのように、なだらかで巧みな連携が行われることを表します。
まさにこれが三昧の状態なのです。
外科医や工具を扱う仕事なら、道具や工具が生きたように動くなんて例えられたりもします。
演奏者であれば、その人が楽器を演奏することでその人自身から音が奏でられてるような、楽器と演奏者が一体となっているようなそんな状態を三昧です。
人が人、もしくは生き物や物の心になり、そして相手や生き物、物がその人の心になった状態のことです。
一つの心になることで、それぞれ個々であるよりもより良い力が出せたり、安定した音を出せたりします。
それは、とても調和的であり、愛がそこにないと成り立たないのです。
仕事にも愛を
仕事も同じで、愛を持って仕事が喜んでくれるような仕事の仕方をすれば、仕事の方から愛をもってこちらを労わってくれます。
しかし、仕事の方が嫌がるような捉え方ややり方をしていると、仕事は「疲れ」という形でその人に返します。
仕事が喜ぶように仕事をするならば、自分も楽しくなる。
楽しさを見出すのは自分自身で、楽しさを与えてくれるのは相手ということなのです。
これが仕事と自分との三昧(ひとつになる)ということです。
自己満足にならない
物つくりや子育てでも、相手の心になっているかを考えて接しないといけません。
彫刻を彫る職人なら木の気持ちに、陶器を作る職人なら土の気持ちに、子どもに叱る時も褒める時もその子の気持ちになることが大事なのです。
物つくりの時も子育ても利己主義(自己の利益を重視し、他者の善行を軽視、無視する考え方)になっていないか、自己満足になっていないか考えなくてはいけません。
向き合っている対象(木、土、子どもなど)の心を知り、相手が喜ぶようにしなければならないのです。
相手の心となることで、本当に必要な形(彫り方、こね方、叱り方や褒め方)が見えてくる。
それを習得することが三昧なのです。
「道」
自分が力を入れていることを「道」にするのも「三昧」だと沖先生は述べています。
野球を「野球道」、料理を「料理道」、走ることを「走行道」そうやって、すべてのものを「道」にすることが、三昧につながり、それは自分らしく生きるためのコツになるのです。
野球なら野球、料理なら料理、走るなら走行を通じて、バランスや物事の原理、そして生を知り、そこに没入し一体となることで愛の心を身に着けることが出来るのです。
「仕事三昧」とか「読書三昧」とか言葉を使うと思いますが、これも「道」と同様で、そのことに一心不乱に向かうことや精神を集中させて、その他の雑念を捨て去ることです。
瞑想の一番深い状態「三昧(サマーディ)」と呼ぶ
サマーディの状態とは心が対象の中に没入して自我が消えた状態。一体化した状態だということですが、ヨガではこれを瞑想の一番深い状態だと言います。
三昧(サマーディ)に没入するためには段階が必要で、第五段階の統一行法(ダラーナ)で緊張力を高め、第六段階である禅定行法(ディアナ)と第七段階である放下行法(バクティ)で弛緩力を高め、体も心も安定させて無にすることで今回の三昧(サマーディ)に入っていけます。
第五段階の統一行法(ダラーナ)「私が月のイメージをしている」という集中している段階
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参考沖ヨガ10段階(八支則)~統一行法(ダラーナ)について~瞑想のはじまり、集中力を身に着ける
↓
第六段階の禅定行法(ディアナ)と第七段階である放下行法(バクティ)で、体と心を緩め安定させ「心の中を月のイメージだけになる」
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参考沖ヨガ10段階(八支則)~禅定行法(ディアナ)について~体が最高にやすらぐ状態を体得する
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参考沖ヨガ10段階 ~法下行法(バクティ)について~ 心を無にしてやすらぐ状態を体得する~
↓
この第八段階の三昧(サマーディ)で「私」という認識が自然と消滅していく
こんな風に段階を踏み、自我が弱まることで、煩悩や執着も自然と消えていき、人間の悩みや苦しみから解放されることができるのです。
3.まとめ
悩みや葛藤というのは、結局は自分のエゴや執着がその苦しみを生み出します。
人間はエゴや自分への執着を手放すことがもっとも難しく、それが人間の心を不自由にさせていると言います。
何度もダラーナやディアナ、バクティ、サマーディを練習することで、そのエゴや執着が薄れていき、本当に心や体が自由な状態になる。
その自由な状態こそが本当のしあわせなのだとヨガでは考えられているのです。
この三昧の段階までなってくると言葉で説明するのがとても難しいです。
私もその境地まで達したことがあるのか?と疑問になりますが、何かに集中して取り組んでいるとき、一心不乱にしているときに時間や排泄や食事さえも忘れている(自我が薄い状態)なんてことがあります。
その時は、その向かっている対象と一体となったように、自分は無くなってしまい、自分の欲や悩みが消えているのを感じます。
そういう体験を重ねていくことで、少しずつその境地に達していくのではないかな。とこの記事をまとめていて思いました。
時々、芸術家でもその作品自体がイキイキしている、さも生きているような命が宿ったような作品を創られる方がいますが、それはきっと三昧の境地に達して、その対象の心と一つになったことで、その対象の生をさらに活かすことが出来たからではないかと思います。
木の声を聞く、動物の声を聞く、それは特殊能力ではなく、愛をもって自分自身にもその対象にも真摯に何度も向き合った結果かもしれませんね。
Sumie🌙.*·̩͙✩.*
Smjuk のヨガ
沖ヨガ10段階 ~三昧行法(サマーディ)について~客観と主観を一つにする。相手と自分がひとつになるための訓練法~
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以前、【ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)】
という記事を書きました。
ヨガはポーズだけではなく、10個の大切な教えがありますよ!という内容です。
ザクっと10段階の教えをまとめてあります。
参考ヨガはポーズだけではない!?沖ヨガ10段階について(八支則について)
今回はその10段階の中の8段階目である「三昧行法(サマーディ)」について詳しくお伝えしていきます。
目次
1.三昧行法(サマーディ)とは
2.第八段階 三昧行法(サマーディ)ついてもっと詳しく知る
3.まとめ
1.三昧行法(サマーディ)とは
沖ヨガの沖正弘先生は著書「ヨガの喜び」の中で、三昧行法(サマーディ)とは自他がひとつになり、他と最高に和合協力、生かし合うことだと述べています。
また、パタンジャリのヨガスートラでは、三昧行法(サマーディ)とは、瞑想(ディアーナ)そのものが形を失ったかのようになり、その対象がひとり輝くときのことであると述べています。
ヨガの瞑想の一番深い状態をサマーディとも呼びます。
ヨガスートラではサマーディにもいくつかのレベルがあると言われています。
2.第八段階 三昧行法(サマーディ)ついてもっと詳しく知る
三昧行法(サマーディ)…自分と相手が一体化する?ひとつになる?と疑問に感じた方も多いかもしれません。
ここからは、もう少しだけ三昧行法(サマーディ)について沖先生の著書を参考に掘り進めていきましょう。
三昧とは愛
自分が相手の心となり、相手が自分の心となる。
「人馬一体」という言葉がありますが、これは乗馬において乗り手(騎手)と馬が一つになったかのように、なだらかで巧みな連携が行われることを表します。
まさにこれが三昧の状態なのです。
外科医や工具を扱う仕事なら、道具や工具が生きたように動くなんて例えられたりもします。
演奏者であれば、その人が楽器を演奏することでその人自身から音が奏でられてるような、楽器と演奏者が一体となっているようなそんな状態を三昧です。
人が人、もしくは生き物や物の心になり、そして相手や生き物、物がその人の心になった状態のことです。
一つの心になることで、それぞれ個々であるよりもより良い力が出せたり、安定した音を出せたりします。
それは、とても調和的であり、愛がそこにないと成り立たないのです。
仕事にも愛を
仕事も同じで、愛を持って仕事が喜んでくれるような仕事の仕方をすれば、仕事の方から愛をもってこちらを労わってくれます。
しかし、仕事の方が嫌がるような捉え方ややり方をしていると、仕事は「疲れ」という形でその人に返します。
仕事が喜ぶように仕事をするならば、自分も楽しくなる。
楽しさを見出すのは自分自身で、楽しさを与えてくれるのは相手ということなのです。
これが仕事と自分との三昧(ひとつになる)ということです。
自己満足にならない
物つくりや子育てでも、相手の心になっているかを考えて接しないといけません。
彫刻を彫る職人なら木の気持ちに、陶器を作る職人なら土の気持ちに、子どもに叱る時も褒める時もその子の気持ちになることが大事なのです。
物つくりの時も子育ても利己主義(自己の利益を重視し、他者の善行を軽視、無視する考え方)になっていないか、自己満足になっていないか考えなくてはいけません。
向き合っている対象(木、土、子どもなど)の心を知り、相手が喜ぶようにしなければならないのです。
相手の心となることで、本当に必要な形(彫り方、こね方、叱り方や褒め方)が見えてくる。
それを習得することが三昧なのです。
「道」
自分が力を入れていることを「道」にするのも「三昧」だと沖先生は述べています。
野球を「野球道」、料理を「料理道」、走ることを「走行道」そうやって、すべてのものを「道」にすることが、三昧につながり、それは自分らしく生きるためのコツになるのです。
野球なら野球、料理なら料理、走るなら走行を通じて、バランスや物事の原理、そして生を知り、そこに没入し一体となることで愛の心を身に着けることが出来るのです。
「仕事三昧」とか「読書三昧」とか言葉を使うと思いますが、これも「道」と同様で、そのことに一心不乱に向かうことや精神を集中させて、その他の雑念を捨て去ることです。
瞑想の一番深い状態「三昧(サマーディ)」と呼ぶ
サマーディの状態とは心が対象の中に没入して自我が消えた状態。一体化した状態だということですが、ヨガではこれを瞑想の一番深い状態だと言います。
三昧(サマーディ)に没入するためには段階が必要で、第五段階の統一行法(ダラーナ)で緊張力を高め、第六段階である禅定行法(ディアナ)と第七段階である放下行法(バクティ)で弛緩力を高め、体も心も安定させて無にすることで今回の三昧(サマーディ)に入っていけます。
第五段階の統一行法(ダラーナ)「私が月のイメージをしている」という集中している段階
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↓
第六段階の禅定行法(ディアナ)と第七段階である放下行法(バクティ)で、体と心を緩め安定させ「心の中を月のイメージだけになる」
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参考沖ヨガ10段階(八支則)~禅定行法(ディアナ)について~体が最高にやすらぐ状態を体得する
参考沖ヨガ10段階 ~法下行法(バクティ)について~ 心を無にしてやすらぐ状態を体得する~
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この第八段階の三昧(サマーディ)で「私」という認識が自然と消滅していく
こんな風に段階を踏み、自我が弱まることで、煩悩や執着も自然と消えていき、人間の悩みや苦しみから解放されることができるのです。
3.まとめ
悩みや葛藤というのは、結局は自分のエゴや執着がその苦しみを生み出します。
人間はエゴや自分への執着を手放すことがもっとも難しく、それが人間の心を不自由にさせていると言います。
何度もダラーナやディアナ、バクティ、サマーディを練習することで、そのエゴや執着が薄れていき、本当に心や体が自由な状態になる。
その自由な状態こそが本当のしあわせなのだとヨガでは考えられているのです。
この三昧の段階までなってくると言葉で説明するのがとても難しいです。
私もその境地まで達したことがあるのか?と疑問になりますが、何かに集中して取り組んでいるとき、一心不乱にしているときに時間や排泄や食事さえも忘れている(自我が薄い状態)なんてことがあります。
その時は、その向かっている対象と一体となったように、自分は無くなってしまい、自分の欲や悩みが消えているのを感じます。
そういう体験を重ねていくことで、少しずつその境地に達していくのではないかな。とこの記事をまとめていて思いました。
時々、芸術家でもその作品自体がイキイキしている、さも生きているような命が宿ったような作品を創られる方がいますが、それはきっと三昧の境地に達して、その対象の心と一つになったことで、その対象の生をさらに活かすことが出来たからではないかと思います。
木の声を聞く、動物の声を聞く、それは特殊能力ではなく、愛をもって自分自身にもその対象にも真摯に何度も向き合った結果かもしれませんね。
Sumie🌙.*·̩͙✩.*
-Smjuk のヨガ
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