これを書いている今、水星は魚座で逆行している。
星の配置から見ても、思考が拡散し、物事がまとまりにくいタイミングである。
私自身も例にもれず、頭の中でさまざまな考えがぐるぐると巡り、ひとつに収束しない状態が続いている。
今回の記事は、そんな頭の中をそのまま流し出すような文章にしたい。
結論は出ないし、着地点も定めない。
それでも、この瞬間の思考を記録として残しておくことには意味があると考えている。
水瓶座とは
まずは、タイトルにもある「水瓶座」というサインについて整理しておきたい。
ちなみに、私のネイタルチャートでは、水瓶座にある天体は木星のみで、主要天体は存在しない。
一方で現在は、プログレスの太陽・水星・金星・木星が水瓶座にあり、最近になってプログレスの月も水瓶座へ移動した。
水瓶座は黄道十二宮の11番目のサインで、正式には宝瓶宮(ほうへいきゅう)と呼ばれる。
・男性サイン
・不動宮
・風のエレメント
・ルーラー:天王星(副ルーラー:土星)
水瓶座のテーマは普遍性であり、自由と平等、そして個性の尊重を大切にするサインである。
ルーラーである天王星が「変化」「革命」「反抗」「離反」といった意味をもつため、水瓶座は「変わっている」「個性的」と解釈されることが多い。
しかし、水瓶座の本質はあくまで普遍性にある。
普遍性とは、「時代・場所・立場を問わず、共通して当てはまる価値や法則」を指す。
簡単に言えば、「どこでも通じる」という性質である。
私はいつも、この点で水瓶座が分からなくなる。
「どこでも通じる」ことと、「個性的である」ことは、まったく別の概念ではないかと感じるからだ。
どこでも通じるためには、強い個性や突出した特徴は、むしろ邪魔になる。
そう考えると、どこでも通じる=没個性 の方が、しっくりくる。
さらに、水瓶座のルーラーである天王星は、凝り固まった価値観や序列を、容赦なく切り崩す天体である。
たとえば、多くの山がある中で、富士山だけが「背が高い」という理由で特別扱いされていたとしよう。
しかし、宇宙から見れば、富士山も他の山も「同じ山」である。
天王星は、そこに切り込みを入れ、「みんな同じ山だよ」とフラットにしてしまう天体である。
獅子座とは
では、反対側に位置する獅子座から考えてみる。
獅子座は、黄道十二宮の5番目のサインで、正式には獅子宮(ししきゅう)と呼ばれる。
そのままである…
・男性サイン
・不動宮
・火のエレメント
・ルーラー:太陽
獅子座のテーマは自我の確立であり、個性や自己表現を重んじるサインである。
ルーラーである太陽は、太陽系で唯一の恒星であり、自ら光を放つ存在だ。
そのため、獅子座には「華やかさ」「カリスマ性」「自己主張」「エンターテイナー」といった意味が与えられている。
こうして並べてみると、「個性的」「変わっている」という言葉は、むしろ獅子座の方がふさわしい。
唯一無二の太陽のように、自分だけの光を放つこと。
それこそが、獅子座の本質である。
なぜ、水瓶座=個性的となったのか
水瓶座が「個性的」と解釈される理由はいくつかある。
ひとつは、本来水瓶座のルーラーは土星であったが、天王星の発見以降、天王星がルーラーとされたことだ。
天王星の自転軸は、公転面に対して約98度傾いている。
横倒しになったまま、転がるように太陽の周りを回る、非常に特殊な天体である。
また、天王星が発見された時代は、アメリカ独立革命やフランス革命が起こった激動の時代であった。
そのため、天王星は「革命」「変化」「独立」「反抗」を象徴する天体とされた。
結果として、
変わった天体 × 変革の時代= 個性的・変わり者= 水瓶座
という図式が出来上がったのである。
しかし、自転軸の傾きで言えば、金星の方がはるかに特殊だ。
金星は約177度傾き、ほぼ逆回転している。
それでも金星が「変わり者」とは言われない。
もうひとつの理由として、水瓶座が不動宮の風サインである点が挙げられる。
思考が変わりにくく、言い換えれば「頑固」である。
さらに、風のエレメントは情報を司るため、時代の空気や流行をいち早く察知する。
結果として、「今」に生きる人たちから見ると、少し先を行きすぎて「変わっている」と映るのである。
他にも、水瓶座が個性的であると解釈される理由は多々ある。
しかし、鑑定をする中や、知人を観察する中で見えてくる水瓶座の人たちは、
「個性的であろうとする」「変わっていると言われることを喜ぶ」
といった振る舞いとは、むしろ距離があるように感じている。
そもそも「個性的」「変わっている」という言葉は、必ず誰かとの比較から生まれる評価である。
常識的・普通という立場を基準にして、そこからどれだけ逸脱しているか、という視点で語られる言葉なのだ。
しかし、水瓶座は普遍性をテーマとし、自由と平等、そして個性の尊重を根幹に置くサインである。
占星術の観点から見ても、水瓶座は「比べる」こと自体に、あまり意味を見出していない。
比較という前提に立って語られる時点で、すでにズレている…
水瓶座は、そう感じているはずである。
また、水瓶座は風のエレメントである。
情報や空気の流れを読むことに長け、実際には協調性が高く、場の雰囲気を壊さない振る舞いを選ぶことも多いのだ。
人間は特別であることを好む
ここで少し視点を変えたい。
人間は「特別」であることを好む生き物だと個人的に考えている。
占星術を学ぶ人たちも、自分のネイタルチャートの中にある珍しい配置や複合アスペクトを探し、それを「自分だけの特別さ」として語ることが多い。
私自身も、占星術を始めたころはそうだった。
他者との違いを見つけては、少し誇らしい気持ちになっていた。
しかし、多くのチャートを読む中で、ひとつの事実に行き着いた。
どのネイタルチャートも、例外なく特別である。
配置が同じチャートは存在せず、人生もまた一つとして同じものはない。
特別であることを、わざわざ主張する必要はない。
人はすでに、存在そのものが特別なのである。
ここの視点に立ったとき、
「一人ひとりが特別である」
という事実こそが、普遍的な真理なのではないかと感じた。
それが、水瓶座の示す普遍性であり、没個性の正体なのではないだろうか。
そして、「私は特別な存在だ」と声高らかに宣言するのが、反対側の獅子座なのである。
私は月が獅子座にあるため、没個性とは正反対の生き方を求める傾向がある。
しかし今、その月に対して、水瓶座にある冥王星がオポジションを形成し、さらにプログレスの月も重なりつつある。
水瓶座の本質を、完全に理解できているとは言えない。
それでも、水瓶座がもつ「普遍性」という価値観を、少しずつ自分の中に取り入れていきたい。
そして、わざわざ「特別感」をアピールすることのない人間になりたい。
だって、この世界のものは全て、もともと「個性的」であり、「変わって」いて、「特別」なのだから。